K@t@ruBelog
かたるべログ。障がい者が普通に地域で暮らすために私たちにできることを考え、実践するために横井寿之が作成するホームページです。
友人へ
 このブログに施設の友人達のブログをリンクさせていた。彼らのブログを通して彼らの活動を知ることができるし、彼らの活動を応援してきた。しかし、今の彼らのブログは自由に表現できなくなっていることを推測できる。それが私に関係することでもあるのだとしたら、気の毒なので削除することにした。

かたるべの森で終戦記念日に思う
 かたるべの森にきたけど、夏期休暇でかたるべの森は休み。実習生も自宅に戻っていると言うことで訪問指導も果たせず。ビジターハウスの建築の状況も工事は休み。そんな訳で自宅でのんびり過ごしている。物置の整理を久々にした。資料と図書類の整理ですごした。今日は雨なので、椅子のペンキ塗りも途中で休んで、雨で濡れる木々を眺め、おだやかに過ごした。オリンピックを見、そして終戦記念日に関するニュースを見た。私は終戦の年に生まれた。従って63回目の終戦記念日は私の年齢でもある。戦争の体験を語る人たちは少なくなり、二度と戦争は起こすまいと言う決意や、権力のありように批判的な声はますます弱々しい。私が高校に入学したときに生徒会が原水爆禁止世界大会に生徒会代表を派遣するという方針を校長が反対して全校集会がもたれた。安保反対闘争が連日行われ、樺美智子さんが犠牲になった。大学では大学と自治会の団体交渉が頻繁に行われ、政治的には無党派の私も穏やかなデモには参加した。社会でもっとも弱い人たち、援助を必要とする人たちのために働けとわが母校の教員は教えた。それが当時の社会に対する正義を貫く意志のように思え、福祉の仕事に就いた。もっとも困難な仕事と言われた知的障がい者の施設に勤め、最重度者の寮の担当を志願した。給料は当時の同期の高卒の同級生より安かった。職場の同僚たちとは援助の方法について、とことん議論をした。職員会議は説得するか説得されるかという緊迫感の中で仕事した。会議中に女子職員は伝わらないことの悔しさでよくないた。議論の相手が何ヶ月も口をきいてくれないとううこともよくあったし、先輩職員からは新職員を代表してよく説教をうけた。
1年目の職員の時に、あまりの言われ方とその理不尽さに「今言ったことを忘れるな。一年たったときに君らを必ず抜いてみせる」と啖呵をきった。太陽の園の2期生はその後、太陽の園の運営の中核となった。保守色の強い職員に罵倒されながらも組合を結成した。もっとも仕事をし、信頼のある職員を執行部に入れて、援助の実践の中心となって150名の職員を結束した。道庁の職員合理化に対して反対闘争をつづけ、ついには異例とも言える職員の増員と待遇の改善をした。3年に渡る戦いだった。
 道庁と国に障害者福祉の制度を提案し、いくつかを制度化した。この頃から、地域福祉の取り組みが理解されるようになった。全国の施設職員の研修会では北海道がもっとも先駆的であった。私たちの指導研究委員会の活動は日本愛護協会との戦いでもあり、全国のモデルでもあった。「終生保護派」の施設長たちのとの戦いも、時には熾烈とも言えるやり合いがあったが、彼らも時代の流れと共に終生保護をいうことはなくなり、見事に宗旨替えをした。
障がい者福祉の実践は他の領域からくらべて常に時代と社会を変えてきたと思っている。わが領域の友人たちは常に鮮烈であった。
第1線にいた多少の自負も10年前までの話である。しかし、世の中の不条理と理不尽な権力との戦いは、なを粘り強く続いている。身の回りにある理不尽についても注意深く見つづけていくつもりだ。

 今は多くの福祉にいるものたち、教育にいるものも含めて、自分の生活を守ることが重要だから、「長いものまかれろ」主義の媚びも使い分けて正当化し、自分の信念を突き詰めることはしない。。福祉の援助を必要とする人たちが、どんな理不尽な状況に置かれていても関心をもたない人たちが「援助」について講義している。地域の第1線で福祉の実践をしている従事者たちの「実績」すらも言葉巧みに自分のものにしようとする。こういう社会では誠実でひたむきに努力している現場の福祉に従事する若者はますます失望し、不信感を強くする。

森の中にあって心静かにこのところの出来事を振りかえり、少し、昔も思い起こした。
辞めることを決めてみえてくるもの
 大学を辞めると決めてから、不思議といろいろなことが見えてくる。一つには大学とそこにいる教員に対する見方、もう一つは福祉施設に対する見方、そしてこの後の生き方について深く考えるようになった。
 大学について言えば少なくとも相当の熱意をもって福祉の人材を養成する大学としたいと思って日々努力してきたという思いが強い。当麻のかたるべの森や障がい者福祉についての関わりをとりあえず脇において大学での人材養成ということを第一義的に仕事をしてきた。我が職場を他の福祉系の大学よりよくしてきたいと思って仕事をしてきた。それが結果的にはどれほどのことであったか、空しいものがある。

 しかし、ゼミの卒業生がこの10年で100名を数える。多くのゼミ生が福祉の現場で働いている。彼らとの10年はなによりも大きく、この点においては大学にいて、彼らとともに学んだことは何よりも私の人生では貴重な経験であり、豊かな財産であると思う。先日も1期生のyoshinoさんからメールをいただいた。胸に響いた。残りの人生で少しでも彼らが現場で元気に働けるように応援していきたいと思う。
池田理事長みずから接待の係
全体の様子ともに福祉会夏祭り 015

 夏祭りの開始時間にはもういっぱいの人で、座るところもないほど。池田理事長が自ら料理を運んでいてかいがいしく働いていたのはちょっと驚きとともに、ちょっと嬉しくなった。少しも気取らず、少しも偉そうにせず、スタッフの一員となって来客者の接待をしている。ジュースを運んだり、食べ物を運んだりしている姿は誠にさわやかであった。ともすれば忘れがちなことを理事長の姿をみて教えられた。

 
 この夏祭りは通所施設の前庭にテントを張って、参加費千円で市民にも開放している。千円ではきっと大きな赤字だと思うが、それも父母や市民に感謝する意味もあるのだろう。ともに福祉会には現場実習のお願いもしていて、実習生訪問を兼ねての参加であったが、今日はもちろん実習生の元気な姿を見るだけで、野暮なことはしない。卒業生も元気に働いている。
ちかごろ不快なことが多かっただけに、今日は心地よい気分であった。
 
ともに福祉会夏祭りに参加した
バンドともに福祉会夏祭り 028
 札幌にあるともに福祉会の夏祭りに参加してきた。とても賑やかで楽しい祭りであった。
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