さて、しばらく休んでいました。関心をもってブログをみてくれている方もいて、「どうした?」と励ましのメールをいただいていた。この間、講義に追われていたことと、そしていろいろな出来事があってブログを更新するゆとりがなかったこと。なによりも道の「障害者総合相談センター」の入札に応募し、提案書に対する審査があり、そして、福祉とはおおよそほど遠い「○○病院(○○のところは皆さんで適当な言葉を挿入してください)」との競争に負けたという結果であったこと。この負けたということの事実を1カ月がたつのに納得できないでいることが大きい。
この○○病院が他管内の入札の提案書を事前に入手していること。このことがまず今回の入札の基本的なルールを破っているという腹立たしさである。道庁は現地調査をして提案書のやりとりがあったことは確認しているが、参考にして提案書を作成した証拠は得られなかったと予想道通りの報告をうけた。建築土木の入札と違って「金額」を盗んだわけではないとする弁明であるが、おかしくはないか? 金額はすでに示されていての入札である。従って提案する内容の一つ一つの合計がその金額に相当する提案であるが故に、提案は入札金額と同じ意味をもつのである。それを他管内のまだヒアリングさえも終わっていない事業所から入手して自分のところの参考にする。しかも、その他管内の入札に応募したのは1カ所だから、その提案書は当然採択される可能性が高いわけで、それを参考にするということは入札を有利に導くことに他ならない。14支庁で、他管内の事業所がお互い入札の提案書をやりとりしてよいのなら、この道の入札の趣旨は見事に踏みにじられることになるのであって、道庁がそうした事実のある事業所を「証拠」が得られなかったとかばうこと自体私には理解できない。道庁は今回の総合相談センターは困難な道財政のなかで、相当の思い入れをもって事業化したはずである。入札方式にしたのも「実績と志のあるところがこの事業を請け負う」ことができるようにという意図であったはずである。そしてそれは「北海道障害者地域生活支援検討会議」の14回に及ぶ議論、3回の合宿での委員の熱い議論の結果でもあったはずで、こうしたことが入り口の段階で踏みにじられるということに道庁が「寛容」なのが不思議でなことである。
「李下に冠を正さず」ということわざがある。「スモモの実の下で手を挙げて帽子を直すな、人が見たらスモモの実を盗ろうとしているように疑われる」という意味である。今回の事件は人の家のスモモは取りましたが、まだ食べていませんから盗んではいません」とか「お金は取りましたが、まだ使ってはいません」というのとどこが違うか。○○病院の事務長と旭川の社会福祉法人の常務理事のやりとりで動いた入札の提案書は、その提案を作成した現場の人たちの想いや道庁の志やそれによって影響を受けた人や、この事業にかけた人の志を踏みにじったのである。提案書を求められた側の福祉現場の施設長は「人の提案書を見せてもらわなければ書けないのなら、この事業に応募すべきではないのだ」という。当然のことである。「証拠がない」という判定も奇妙である。やりとりした事実が不正義で、それだけで参加取り消しというのが筋である。いくら○○病院でも、証拠があると判断されるようには書かないだろう。提案書とはどんな風なものか見るだけで、それだけで十分に参考になる。ちょっと機転の利くPSW(精神科ソーシャルワーカー)ならそれで十分に参考にして書ける。でもそれをしたPSWさんよ、それはソーシャルワーカーの倫理綱領にふれる行為ではないか。ソーシャルワーカーと倫理については改めて言及したい。それでも不思議な印象をこのブログを読まれる友人、支持者は思うだろう。審査員はどう判断したのだろうかと。この審査の仕方も判定理由もまことに奇妙であると私は思っているが、それについてはまたの機会にふれたい。なにせ、私たちは精神的に立ち直れないうちに先日、「北海道発達障害者支援地域センター」の入札に懲りずに応募した。ヒアリングが7月4日にある。誰が審査をするかわからないが、このブログが審査に影響しないとも限らない。
この○○病院が他管内の入札の提案書を事前に入手していること。このことがまず今回の入札の基本的なルールを破っているという腹立たしさである。道庁は現地調査をして提案書のやりとりがあったことは確認しているが、参考にして提案書を作成した証拠は得られなかったと予想道通りの報告をうけた。建築土木の入札と違って「金額」を盗んだわけではないとする弁明であるが、おかしくはないか? 金額はすでに示されていての入札である。従って提案する内容の一つ一つの合計がその金額に相当する提案であるが故に、提案は入札金額と同じ意味をもつのである。それを他管内のまだヒアリングさえも終わっていない事業所から入手して自分のところの参考にする。しかも、その他管内の入札に応募したのは1カ所だから、その提案書は当然採択される可能性が高いわけで、それを参考にするということは入札を有利に導くことに他ならない。14支庁で、他管内の事業所がお互い入札の提案書をやりとりしてよいのなら、この道の入札の趣旨は見事に踏みにじられることになるのであって、道庁がそうした事実のある事業所を「証拠」が得られなかったとかばうこと自体私には理解できない。道庁は今回の総合相談センターは困難な道財政のなかで、相当の思い入れをもって事業化したはずである。入札方式にしたのも「実績と志のあるところがこの事業を請け負う」ことができるようにという意図であったはずである。そしてそれは「北海道障害者地域生活支援検討会議」の14回に及ぶ議論、3回の合宿での委員の熱い議論の結果でもあったはずで、こうしたことが入り口の段階で踏みにじられるということに道庁が「寛容」なのが不思議でなことである。
「李下に冠を正さず」ということわざがある。「スモモの実の下で手を挙げて帽子を直すな、人が見たらスモモの実を盗ろうとしているように疑われる」という意味である。今回の事件は人の家のスモモは取りましたが、まだ食べていませんから盗んではいません」とか「お金は取りましたが、まだ使ってはいません」というのとどこが違うか。○○病院の事務長と旭川の社会福祉法人の常務理事のやりとりで動いた入札の提案書は、その提案を作成した現場の人たちの想いや道庁の志やそれによって影響を受けた人や、この事業にかけた人の志を踏みにじったのである。提案書を求められた側の福祉現場の施設長は「人の提案書を見せてもらわなければ書けないのなら、この事業に応募すべきではないのだ」という。当然のことである。「証拠がない」という判定も奇妙である。やりとりした事実が不正義で、それだけで参加取り消しというのが筋である。いくら○○病院でも、証拠があると判断されるようには書かないだろう。提案書とはどんな風なものか見るだけで、それだけで十分に参考になる。ちょっと機転の利くPSW(精神科ソーシャルワーカー)ならそれで十分に参考にして書ける。でもそれをしたPSWさんよ、それはソーシャルワーカーの倫理綱領にふれる行為ではないか。ソーシャルワーカーと倫理については改めて言及したい。それでも不思議な印象をこのブログを読まれる友人、支持者は思うだろう。審査員はどう判断したのだろうかと。この審査の仕方も判定理由もまことに奇妙であると私は思っているが、それについてはまたの機会にふれたい。なにせ、私たちは精神的に立ち直れないうちに先日、「北海道発達障害者支援地域センター」の入札に懲りずに応募した。ヒアリングが7月4日にある。誰が審査をするかわからないが、このブログが審査に影響しないとも限らない。
| ホーム |

![横井 寿之 [よこい・としゆき]](http://blog6.fc2.com/t/toshiyuki/file/keyboadss.jpg)